今は昔の物語(1)

田舎風景を見ると、思い出すのがあのエンエンと続く穀倉地でのこと。まだ稲穂は青い葉っぱの間で青い房をたてていた。 丁度今の時期だったのだろうか?何のためにそこに出かけたのだろうか?何も確かではないのだけれど、ひとつだけ覚えていることがある。名神高速バスに秦荘という停留所があるのを知ったからだったのだ。小学3年生の子供の頭にしっかりと貼りつけた「大字 秦」と言う住所と結びついたのである。そのあたりはもみじで有名な湖東三山沿いに高速道路が走っていた。道路をまたぐ陸橋を渡り、反対側に出ると田んぼの絨毯であった。三山を歩いて行こうという計画だったようだ。もみじには早すぎるのに、その日しか取れなかったようだった。

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カメラマンになる(5)

昨日と今日の天候状況です。suncloud 湿度が少し低くて過ごしやすかった。すると、なんだか幸せな気がする。買い物リュックに満杯の野菜・果物を背に足取りも軽やかに家路に向かっていると、後ろからジョッギング姿の女性が声をかけてきた。何事ぞ?と思って振り向くと、リュックの口が大きく開いていると教えてくれた。なんと親切な人だろうと感謝の気持ちで一杯になった。コレは天候のセイデショ。とても素直に受け止められた。素直に取れは何でも別にどーってこともないのに、気分が悪いと根性までひん曲がるようですヨ。それは昨日のこと。今日は日曜日、高校の陸上部の人たちが記録を狙ってがんばっていた。女子の短距離で大会新記録を2人も出していた。やっぱり、今日は気分がいいんだわ。私も頑張って、春日大社3枚をアルバムに追加しよう。そしてもうひとつ「花」のアルバムを作ろう。(*^-^)

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カメラマンになる(4)

もう7月になった。せめて半月に1回は書きたいと思っているのだが、なかなか実現しない。

6月の28日が誕生日だけれど、何ということもなかった。9 2009625 でも左の2人が祝ってくれたの。

!Feliz Cumpleanyos!って。嬉しかったな~。誕生日のお祝いなんていらないって、突っ張ってたけれど、やっぱり嬉しいものなんですね。

前回に書いていた長谷の棚田の写真が出来たので、アルバムにいれる。コレで夕焼けがあればいいのにと、話したら「1回で運よく写せると思うのが間違い。私なんて、中国まで出かけて、手ぶらで帰ってきたでー」と言われてしまった。そんなものと、思ってはいるのだけれど・・・やっぱりね~。今月からチョット精力的に撮影に出かけないと、運動不足で足が弱りそう。それにしても暑いなー。熱中症に気をつけないと。

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カメラマンになる(3)

前回の投稿から1ヶ月もたってしまった。カメラマンになるためにはコンテストで入賞する必要がある、と私は思い込んでいる。私の勝手な思い込みであるが、そのためにセッセと応募するのだけれど、私の大事な娘たちは惨めにも出戻ってくる。こんな素敵なものを振り落とすなんて、目のない審査員だわと、毒付いてみるのだけれど、気分はやっぱり晴れない。そこで里山の撮影にでもと、お誘いを受けて厚かましく出かけたが、これがまた暑い日になって、帰阪してから熱中症になり、回復するのに1週間かかってしまった。それにも懲りずに朝焼け、夕焼けの棚田が撮りたいと、友達のログハウスに泊まってまでして出かけたのに、太陽は嘲笑うかのように、天気予報にさからって、どちらも空振りさせてくれた。カメラマンも難しいワイ、と嘆きつつブログの書き込みでもしようと思ったら、今度は6月9日から変更したとかで、ココログが開いてくれない。なんと運のないことよ。インターネット内の運勢判断によると、全体運も健康運も悪いとは出ていないのに・・・。いずれにしても当たるも八卦、当たらぬも八卦なんですわ。 写真の好みも十人十色。上手く同じ色を好む人とめぐり合いたいものですな~。

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カメラマンになる(2)

久し振りの上天気。気分晴れ晴れ。こんな日にはきっと素敵な撮影が・・・と思うのだけれど。そろそろバラが咲き出していて良い香りを放っているだろうし・・・

香りと言えば、春のバラは他の季節に咲くものよりいちばんよく匂う。バラ園を吹き渡ってくる風が何ともいえないよい香りがする。 この香りを写真に写す技術が生まれると、面白いだろうなー。

でも今のところは無理だから、先月末の海津大崎の見事なはなの散り様をアルバムにのせて見よう。

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カメラマンになる(1)

  約1ヶ月ご無沙汰していました。理由はパソコンの前に長時間座っていて、、腰が泣き出したのです。なだめすかして、最近やっと良くなってきたので、またぞろブログを始めようとしています。そうそう、もうひとつの理由はアルバムが見られなかったから。長いこと誰も教えてくれないんだもん。ブツブツ。でも救いの神が現れて、私の間抜け振りをしっかりわかれせてくれました。おかげさまで、再開となった次第です。

アルバムが見てもらえるとなると、俄然元気が出てきて、私はカメラマンになると豪語してしまった。作家もレポーターもなり損ねたのに・・・ この道も厳しいよ~。

先ず、撮影のとき、人より前に出ることが基本。たとえ他人が自分の前で同じ被写体を狙っていようと、その前に出て行く!!! 次に他人の写真には厳しい批評家となること。3番目は個展をして、名を知らしめすこと。

ま、そのうちに何とかなるわいな・・・今日はコレまで。叉腰痛がしゃしゃりでてくるわ。

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私はレポーター(5)舞妓さん撮影の4

  春の訪れが聞こえてくるような日の日曜日の午後の公園は、少年野球の試合を終えた子供たちと親に連れられてくる子供たちとが入れ替わり、とにかく賑やかである。一輪車やスケボーを持ってきた子供たちが親の前でやって見せて、得意げにしているのがとてもおかしい。こちらは見ているだけで、元気を貰う。なんだかやる気になってくる。早速前回のレポートで書いた2人の芸舞妓さんの写真を4枚マイフォトに追加した。

  その後、舞妓さんの化粧の撮影に参加した。みなが待っているところに、鏡台が置かれ、その前に大きな敷物が敷かれると、化粧品を入れた大きな手提げ袋を持った舞妓さんが入ってくる。照明はなしで、普通の蛍光灯だけ。 必要な化粧道具を全部右手において、お化粧をしはじめた。クリームをつけ、水おしろいで真っ白に塗る。眉・目・唇全部を真っ白に塗る。次に絵を描くように眉・目・唇を塗り、気が付けばもう終わり。速いこと、速いこと。皆さん上手く写されたでしょうか?

  次に参加したのは着付け。最初に小物が広げて見せられ、すぐに着付けがはじまる。百聞一見に如かずです。アルバムをご覧ください。 レポーター失格の烙印を押されましたけど。

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私はレポーター(4)舞妓さん撮影の3

  あの大合唱で落ち込んでいた私に昨日小さな朗報が入った。観光センター主催のコンテストに入賞したって。信じがたいことだけれど、書類が来たのだから間違いなさそう。気持ちを取り直して、舞妓さん撮影のレポートを書き始めるが、一ヶ月余りセンター内に展示され、観光客の目を引く役目を果たすのだけれど・・・と叉気が散る。

  青葉の頃、舞妓さんと芸妓さんの2人と一緒に八坂神社から高台寺の裏手まで歩き、

バックがいいところで、止まって撮影する時があった。私たちは歩きやすい靴だから、少々歩いてもいいのだけれど、彼女たちは裾を持ち上げて、重い手提げ袋に蛇の目傘。その上、舞妓さんはポッコリ。考えただけでも、歩きにくい姿なのに、舞妓さんの歩く速度の速いこと。芸妓さんがチョット立ち止まり、裾を持ち直した時傘を落としそうになったので、「もってあげましょう」と言うと、「大丈夫どす」と言葉を返したけれど叉、落としそうになるので、「持ったげるから」と傘を持つと、「おおきに」と頭を下げてくれた。それから、ちょっとしたおしゃべりをした。

  「こんなに歩くのんしんどいでしょう?」 「歩くの好きどす」 だからこんなに歩いても、愚痴もこぼさないのだ。でも まあ大変でしょうね~。

  「何処から来たはるんですか?」と尋ねたら、「大阪どす」。大阪と聞くと、「どの辺ですか?」とききたくなる。「知りはらへんと思いますえ」と答える。「私も大阪やから知ってるとおもうよ」「堺どす」「そんなら、近いやん」となってローカルな話となった。

  近くても家に帰ることはなかなか出来ないので、お母さんが「行った方が早いわ」って来るんです、と言っていた。

  随分歩いた甲斐あって撮影にもってこいの良い雰囲気のスポットがたくさんあった。皆さんは二人を交互に存分に撮影しておられた。

  最後に驚いたのは、次のお仕事に急ぐ芸妓さんを車に乗るトコロまで、舞妓さんが見送りに行ったことであった。 まるで体育系!! 写真は後日マイフォトでどうぞ。

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私はレポーター(3)舞妓さん撮影の2

  その階段を上がりきると、これまた磨きこまれた板の間が黒光りしている。もうすでに2・3人が座敷に入っていたので、私もと奥に目をやってビックリした。今までの薄暗さが一変して、鴨川が一望できる明るい座敷の窓辺に舞妓さんが座っているのである。おもわず、「可愛い!」と叫んでしまいました。周りの人たちが驚いて私をみました。皆さんはもう慣れておられる様で、感動よりも撮影のポジションとりに忙しく動いておられました。舞妓さんには様々なポーズをを取ってもらい、カメラマンも交互に場所を譲り合いましたが、狭い座敷に10名ですから、かがんで撮ると身動きできず、立って撮ると、人の背中に私のカメラが当たるので、新米の私にはなかなか思うようには撮れませんでした。

  1時間ほどの撮影の間に雨が降り出し、外での撮影は30分ほどとなりましたが、舞妓さんの雨ゴートや蛇の目傘が前以て置屋さんから届けられていました。黒っぽいコートに赤い蛇の目傘をさす舞妓さんは二階で見たときよりグット大人びてみえました。

  後日、「舞妓さんの写真撮れました~!!」と嬉しそうに数枚見せると、「あんた、レポーターでよかったな~」の大合唱でした。  

その写真はマイフォトの中にあります。

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私はレポーター(2)舞妓さん撮影の1

  NHK の朝どら「だんだん」もだんだんすべて収まるべきところに収まっていくようですが、一人コウタ君だけが行くべきところがありません。彼は松江に帰るのでしょうか?多分そうだろうという意見と京都に残って仕事を探すと言う意見があるでしょうね。今日しか予想できないーーー明日にはわかることだから。彼は料亭「花村」のホームページを立ち上げ、予約や蜆の佃煮販売、着物地での洋服仕立て取次ぎなどを扱うようになるだろうと、私は予想します。最近は舞妓さんの予約をパソコンでするのだと、舞妓さんばかりを撮っている先生が仰ってましたから・・・ そこでその先生の撮影会にもぐりこんでのレポート。

  京の春を舞妓さんと共にと銘打ってサクラの盛りに京都四条の花街に出かけた。昼食を老舗の料亭で済ませ、その後2階で撮影会ということであった。私も当然カメラを持参した。

  その料亭は玄関を入ると、ず~と奥まで土間が続いている。その土間は黒光りがするほど磨きあげられている。 入り口近くの畳の間に上がると、こちらですと促され、引き戸を開けると薄暗く何も見えない。チョット目が慣れてくると、中央の膳を囲んでる数人の人がみえた。「ココが食堂やわ。」と中に踏み込むと、なんと50センチ落下。危うく転んで、骨折でもしそうな感じであったが、辛くも、グッと持ちこたえる力があった。ヤレヤレ。

  コレは日本家屋のたたみをと床板を取り払って土間と同じ高さにじゅうたんを敷いているからである。 そのその昔、大阪の町家に住んでいたとき、玄関を洋間にするために、中の間との差が50センチほどもあったのを覚えている。コドモだったから、トンと飛び降りるか、座り込んで降りていた。

  そこで軽く食事をしたあとで、いざ撮影と2階に上がることとなった。2階には10人以上一緒に上がるのは古い木造家屋を傷めるので、2組に分かれて上がった。私は当然後の班。前の班が降りてきたので、いざとあがりかけた。階段の幅は約50センチ、奥行き20センチ、高さ40センチほどであった。手に物を持って上がるのは辛い。それを舞妓さんたちは着物の裾を手に持って上がっていくのである。とにかく私はすべり落ちないように手すりをしっかり持って上がって行った。

  コノ階段もあの大阪の家の階段ににている。2階から走り降りると、上から数段のところからズズズズーとすべり越ち、下までノンストップ。そこにちゃぶ台が置いてあって、それに激突してはイタッと泣きべそを描いたものだから、そんな再現はしたくないと思えば、余計に怖い。どのようなものか知りたい人は大阪の適塾に行けば体験できます。

  舞妓さんの写真はアルバムに入れようかなと迷っています。

  a-aさんコメントありがとう。

 

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